2012年09月05日

紀伊半島大水害から1年②

紀伊半島大水害から1年!パート②

9月1日は奈良県の五条市から被害の多かった168号線で新宮市に向かいました。

五条市から168号線で約30キロ南下し天辻峠や猿谷ダムを過ぎると
平阪のお爺ちゃんの故郷、大塔村辻堂という集落があります。

そしてここがお爺ちゃんの兄の孫にあたる
多田秀耕さん経営のお店「双葉商店」


店から道を挟んだ向かいにあるこちらの「大阪屋」さんも
お爺ちゃんの兄弟のお店でした。

この道を約200m進むとこちら!

昨年の水害で大きな土砂崩れがあった場所です。

この写真は昨年ではなく
先日9月1日に谷を挟んだ反対側にある
仮設道路から撮った写真ですが、
今もまだ道が寸断され家屋も埋まったままです。


こちらは谷を挟んだ反対側の山崩れの跡!

幼いころ毎年夏休みにお邪魔してた山里の
一日も早い復興を願わずにはいられません。

しかし修耕さんに聞けば!

何人もの方が亡くなられ同じような被害でも
観光地と言うこともありよくニュースで流れた十津川(温泉)村に比べると
義援金等も少なく復旧の目処が立たないらしいです。(涙)

紀伊半島大水害以降、まずは我が故郷和歌山県の普及復興を優先したいと考え、
お隣の奈良県であるお爺ちゃんの故郷の事は伝えずにきましたが、
1年が経った今、現状を伝えようと思いました。

もちろん東日本大震災の被災地も大変だと思いますが、
平阪はこれからも光が当たりにくい、故郷和歌山県を含めた紀伊半島大水害
からの復旧復興を応援したいと思います。

追伸:
お爺ちゃんの平阪巌は、大阪の平野から木材の商売の為に大塔村に来ていた
多田さんの末っ子として明治37年に生まれ、
多田さんと一緒に木材の仕事をしていた平阪音松さんの養子となり、
和歌山県の九度山町にある米屋さんに丁稚奉公に来てました。

そこの娘さんだったお婆ちゃんと結ばれ昭和2年に平阪の父である平阪孝一が誕生!
その後高野口で米屋を始め、孝一がかつらぎ町笠田出身の平阪の母澄子と結ばれたのです。

なのでルーツをたどれば平阪の血は引いていなくて、
大阪の平野から出てきたことになります。ik_84
でもお婆ちゃんやお母ちゃん系はバリバリ和歌山で、
母ちゃん曰くルーツは上名手で花岡青洲さんの
奥さまも親戚だとのことです。ほんまかなぁ~?

4分の3が和歌山、8分の1づつ大阪と奈良がが入ってる平阪でした。(笑)

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Posted by ウインズ平阪 at 12:22Comments(0)ウインズ平阪