2010年01月22日
メジャーデビューはしたものの!
元々平阪は和歌山を代表するバンドを作り、コンテストで全国優勝するのが夢だったので、
メジャーデビューするなんて事は、目的じゃないし、夢にも思ってなかったのですが、
1986年3社のレコード会社からスカウトしていただき、結局当時のビクター音楽産業からの、
度重なる強いラブコールに押し切られる形で、
「キンキのおまけ」でメジャーデビューとなってしまいましたぁ~(^^;)
しかし前のブログに書いたように、人の痛みも省みず、突っ走ってきたつけが来たのか?
デビュー後は、大したヒット曲も出せず苦労の連続!
でもLIVEでの観客動員は少しずつ増え、1988年には当時3ヶ月に1度のペースでLIVEしてた、
大阪梅田のバナナホールで、
2日連続のLIVEをし600人以上動員!この頃が全盛期だったのかも?(^^;)
今考えると、サングラス姿で女性に大人気だった、亀岡大先生のお陰だったのかも?

これは当時の梅田バナナホールLIVE写真で、
後ろの看板にある「一発逆転」は1982年~89年までのバンド名です。
その後、結婚などで3人のメンバーがバンドを離れ、
1989年末には、当時所属してた事務所社長の意向で、バンド名を「WINDS」に改名!
6人で再出発する事に!

左から西本諭史(Gt)、平阪、谷本成久(Key)、山原啓司(Dr)、亀岡、です。
このメンバーはすべて今もプロとして活躍してる実力派揃い!
ウインズの黄金期とも言えるかも?です。
あれ?ベースの野田君がいない?
バンド人生の中で、苦しい時、いつも自分に渇を入れられるのが、
いつも音楽業界者からウインズらしい曲と支持されて来た曲「YOU目を覚ませ」
今考え
メジャーデビューするなんて事は、目的じゃないし、夢にも思ってなかったのですが、
1986年3社のレコード会社からスカウトしていただき、結局当時のビクター音楽産業からの、
度重なる強いラブコールに押し切られる形で、
「キンキのおまけ」でメジャーデビューとなってしまいましたぁ~(^^;)
しかし前のブログに書いたように、人の痛みも省みず、突っ走ってきたつけが来たのか?
デビュー後は、大したヒット曲も出せず苦労の連続!
でもLIVEでの観客動員は少しずつ増え、1988年には当時3ヶ月に1度のペースでLIVEしてた、
大阪梅田のバナナホールで、
2日連続のLIVEをし600人以上動員!この頃が全盛期だったのかも?(^^;)
今考えると、サングラス姿で女性に大人気だった、亀岡大先生のお陰だったのかも?

これは当時の梅田バナナホールLIVE写真で、
後ろの看板にある「一発逆転」は1982年~89年までのバンド名です。
その後、結婚などで3人のメンバーがバンドを離れ、
1989年末には、当時所属してた事務所社長の意向で、バンド名を「WINDS」に改名!
6人で再出発する事に!

左から西本諭史(Gt)、平阪、谷本成久(Key)、山原啓司(Dr)、亀岡、です。
このメンバーはすべて今もプロとして活躍してる実力派揃い!
ウインズの黄金期とも言えるかも?です。
あれ?ベースの野田君がいない?
バンド人生の中で、苦しい時、いつも自分に渇を入れられるのが、
いつも音楽業界者からウインズらしい曲と支持されて来た曲「YOU目を覚ませ」
今考え
2010年01月22日
平阪のバンド人生!
高校2年生の時に他校の優秀なメンバーを誘って、
和歌山を代表するバンドを作ろうと志した平阪ですが、
思いもよらずコンテストでは、すぐにその夢を果たせました。
18歳で初めて応募したコンテスト、ヤマハの「88ロックデイ」ジュニア部門で和歌山代表となり、
本選でもBEST3に入り「優秀賞」をいただいたのす。
これは当時の平阪の写真!(^^;)

長髪に半パン!バンド仲間から「佐藤がじろう」と呼ばれてましたぁ~!(笑)
これで辞めとけばよかったのですが、調子に乗った平阪は、コンテストを受けまくり、
数々の賞をいただき、天狗状態に!(^^;)
今考えると、これは平阪の力では無く、素晴らしいメンバーに恵まれたからでした。
ってことで20歳すぎ、どこか生意気な平阪です。

右は当時のメンバー山本勝巳君、左は伊都高校時代の同級生!
彼女ではありません!(^^;)
当時の彼女はこちら!

右でニンジンをくわえた亀岡と左の平阪の間は、
高校時代から付き合い、20歳過ぎからはバンドのキーボート担当だった元嫁です。
長い付き合いを経て、父が他界したメジャーデビューの1年前、
平阪が26歳の時に結婚しましたが、デビュー前にはお腹に子供が宿り、
デビュー半年でキーボードをチェンジ!

これはデビュー当時の写真なので、彼女のお腹はすでに大きかったような?
にも関わらずメンバーとしてコキ使い、ツワリの時には、ピアノの横にバケツを置き、
吐きながらバンド練習してたのを思い出します。
他のメンバーへの配慮上、バンドリーダーの平阪は、
彼女には特に厳しく接し、よく泣かせました。
また結婚5年後に彼女が離婚を切り出した時にも、
「俺にはバンドメンバーを引っ張る仕事が一番大事」と相手にもしなかったのです。
そりゃ愛想も尽きるわな!反省!
12年間、そんな自分勝手な平阪に付き合ってくれて本当に有難う!
君がいたから今のウインズがあるのです。感謝!
離婚が決まった1990年に、反省を込めて書いた曲!それが「END」です。
このように平阪の曲のほとんどは、私生活で起こったことや、思った事で、
日記のようなものです。
でもや考えると反省の曲が多いかも?(^^;)
END
作詞:ウインズ平阪
作曲:ウインズ平阪
編曲:埜邑紀見男
End 振り向けば ただがむしゃらに生きてきたから
そう お前には ぬくもりさえやれなかったね
長すぎた年月が 今過去に変わる
お前の後ろ姿を 抱き寄せ引き止めたいけど
今の俺には お前の寂しさ癒せはしないから
Ache 空しさは 鍵の付いた箱につめて
そう いつだって 俺のわがまま許してくれた
遠ざかる靴音が 切なく響くよ
出逢った頃の思い出が 俺の胸締めつけるけど
見果てぬ夢を追うことしか 俺には出来ないから
大人になってゆくお前には バカすぎた男だけれど
信じてほしい愛した女は お前一人だけ
お前一人だけ・・・
※「END」もDAMのカラオケに入ってるので、
別れた彼女や奥さんに苦労をかけた方は、是非歌ってくださいね!(笑)
ウインズ公式サイト(PC用)
ウインズ携帯サイト(携帯用)
和歌山を代表するバンドを作ろうと志した平阪ですが、
思いもよらずコンテストでは、すぐにその夢を果たせました。
18歳で初めて応募したコンテスト、ヤマハの「88ロックデイ」ジュニア部門で和歌山代表となり、
本選でもBEST3に入り「優秀賞」をいただいたのす。
これは当時の平阪の写真!(^^;)

長髪に半パン!バンド仲間から「佐藤がじろう」と呼ばれてましたぁ~!(笑)
これで辞めとけばよかったのですが、調子に乗った平阪は、コンテストを受けまくり、
数々の賞をいただき、天狗状態に!(^^;)
今考えると、これは平阪の力では無く、素晴らしいメンバーに恵まれたからでした。
ってことで20歳すぎ、どこか生意気な平阪です。

右は当時のメンバー山本勝巳君、左は伊都高校時代の同級生!
彼女ではありません!(^^;)
当時の彼女はこちら!

右でニンジンをくわえた亀岡と左の平阪の間は、
高校時代から付き合い、20歳過ぎからはバンドのキーボート担当だった元嫁です。
長い付き合いを経て、父が他界したメジャーデビューの1年前、
平阪が26歳の時に結婚しましたが、デビュー前にはお腹に子供が宿り、
デビュー半年でキーボードをチェンジ!

これはデビュー当時の写真なので、彼女のお腹はすでに大きかったような?
にも関わらずメンバーとしてコキ使い、ツワリの時には、ピアノの横にバケツを置き、
吐きながらバンド練習してたのを思い出します。
他のメンバーへの配慮上、バンドリーダーの平阪は、
彼女には特に厳しく接し、よく泣かせました。
また結婚5年後に彼女が離婚を切り出した時にも、
「俺にはバンドメンバーを引っ張る仕事が一番大事」と相手にもしなかったのです。
そりゃ愛想も尽きるわな!反省!

12年間、そんな自分勝手な平阪に付き合ってくれて本当に有難う!
君がいたから今のウインズがあるのです。感謝!
離婚が決まった1990年に、反省を込めて書いた曲!それが「END」です。
このように平阪の曲のほとんどは、私生活で起こったことや、思った事で、
日記のようなものです。
でもや考えると反省の曲が多いかも?(^^;)
END
作詞:ウインズ平阪
作曲:ウインズ平阪
編曲:埜邑紀見男
End 振り向けば ただがむしゃらに生きてきたから
そう お前には ぬくもりさえやれなかったね
長すぎた年月が 今過去に変わる
お前の後ろ姿を 抱き寄せ引き止めたいけど
今の俺には お前の寂しさ癒せはしないから
Ache 空しさは 鍵の付いた箱につめて
そう いつだって 俺のわがまま許してくれた
遠ざかる靴音が 切なく響くよ
出逢った頃の思い出が 俺の胸締めつけるけど
見果てぬ夢を追うことしか 俺には出来ないから
大人になってゆくお前には バカすぎた男だけれど
信じてほしい愛した女は お前一人だけ
お前一人だけ・・・
※「END」もDAMのカラオケに入ってるので、
別れた彼女や奥さんに苦労をかけた方は、是非歌ってくださいね!(笑)
ウインズ公式サイト(PC用)
ウインズ携帯サイト(携帯用)